エネルギーから環境全般に興味を広げた大学時代
なぜ、この学部・学科を選んだのですか?
高校生の頃は最初、エネルギー系への進学を検討していて、原子力について専門的に学べる学部や学科も候補に入れていました。関心を持ったきっかけは、実は、時空間を自由に移動するワープへの憧れです。ドラえもんの「どこでもドア」的な技術を可能にする原理が気になり、海外の学術論文を少し読んでみたりするうちに、原子やその最先端技術としての核融合や原子力発電に興味を持ち、エネルギーの勉強をしたいと思うようになりました。
ただ、ふと、東日本大震災による原発事故が起きた時の新聞報道で目にしてからずっと頭に残っていた「天災が起こした人災」というフレーズを思い出したんです。「未来のエネルギー」とうたわれていた原子力発電が「災い」になってしまうのか、と改めて考え直して、次のエネルギーの可能性を調べていく中で、再生可能エネルギーに行き着きました。
さかのぼると、小学校1年生の夏休みに地球温暖化による海水面上昇や生態系破壊を絵本のようにまとめて自由研究として提出したことがありまして。その後は意識もせず生きていましたが、高校3年生の時に地球温暖化について再び調べたら、もう10年ぐらい経っているのに何も変わっていなかったんですね。この衝撃も私にとって一つのターニングポイントになりました。これだけ世界中で問題視されているのに、いまだに解決できていない。そこに社会課題があるならば、単なるエネルギーというよりは課題を解決するエネルギーとして再生可能エネルギーを学ぼうと思いました。
そして、再生可能エネルギーだけに狭めず、もう少し広く学べる環境系の学科を調べ始めて、環境システム学科(※)に出合いました。環境と名が付くさまざまな学科の中でも、この学科はどちらかというと人の営みに寄り添う説明がなされていました。人災的な課題は人が関わっていく中で解決できたらいいなと思っていたので、そこに魅力を感じました。
(※)サステナビリティ学科の前身
学生時代に特に熱心に取り組まれたことは何ですか?
ゼミの活動と、学友会執行部での活動です。学友会は、全学生の学費の中から少しずついただく会費をクラブ活動や花火大会や文化祭などに還元して、学生みんなが楽しく過ごせるように働く、生徒会のような10〜30人ほどの組織です。例えば花火大会では、打ち上げ花火の発注、会場(武蔵野キャンパス)地区の消防署との連携、近隣住民への周知などを行っていました。
いま考えれば、4人の弟の兄として18年間生きてきたので「縁の下の力持ち」的な役割が性に合っていたのだと思います。友人の付き添いで説明会に行ったら似た感性を持つ人が集まっていたので、「この環境に身を置き続けたい」と思い、その日から3年生の終わりまで参加しました。2年生の時は総務会計の役職に就き、予算の算定や各イベントの支出管理、クラブ費用の内訳の最終確認などを担当して大きな金額を扱わせていただきました。3年生になると、外部組織の会計監査も引き受けていました。
ゼミの活動は当時は3年生からでした。千葉県でパーマカルチャーを実践されている本間・フィル・キャッシュマンさんのところで合宿するという研修に誘ってくださった先生のゼミに入りました。研修では、農業と生活を持続的に保つ一連の循環を見せていただき、パーマカルチャーの基本的な考え方を学びました。電子機器も街灯もないので、夜はいろいろな参加者の方々と焚き火を囲み、心を開いて交流しました。
実は、僕の地元、埼玉県の小川町も街灯が少なく周りは田んぼという似たような環境なんです。フィルさんのきれいな庭は外見だけでは分からないけれど、教えてもらうと全てが考え尽くされていて、学術的にも最先端なことをしていました。少しだけ手を加えて、自ずと循環していく環境を整えているんです。自分の地元と似た環境でこれができてしまうんだと驚きましたし、情報としての強みや、それを実践してきた人の強みにも感心しました。その後、その技術を持ち帰って実家の庭で菜園と雨水の貯水やろ過を試してみたら実際にできたんですね。誰でもできる技術の学びを広めることの訴求力と、人間の生きる力に改めて感動したのを覚えています。
パーマカルチャーを通して持続可能なエネルギーについても学び、「本当に循環型のエネルギーとは?」と考えさせられたので、卒業論文のテーマは、入学時の思いに立ち返って再生可能エネルギーに絞りました。具体的には、武蔵野大学が掲げる再生可能エネルギー100%という目標の実現可能性について検討しました。実は今も仕事の一環で、このプロジェクトに関わっています。
就職の経緯や、現在のお仕事内容について教えていただけますか?
卒業論文に取りかかる時期に、ゼミの先生の紹介で、いま勤めている「みんな電力株式会社」(当時の社名)と出合いました。そして、武蔵野大学を再生可能エネルギー100%にするプロジェクトを、みんな電力を絡めて動かそうと、学生から大学側に働きかけました。同社でそういう連携を担当していた、今は同じ部署の先輩であるBさんとは、当時からメールでやり取りしていました。その後、インターンとして社内で働かせていただきました。新卒採用がない会社でしたが、インターン同期の4人は初の元インターン生として後に全員入社しています。
「みんな電力」という面白いことをしている会社、なおかつ経営の根本に環境問題対策がある会社に勤めることになってから、企画立案などの際に、大学で培った視点や大学で得られた幅広い環境問題対策の知識に助けられているのを感じます。「Program is Solution」というパーマカルチャーの標語は、私の座右の銘になっています。「何かしら課題にぶつかった時、それを解決できればすごいソリューションになる!」という考え方を学んでいたからこそ、今の会社に合った思考の仕方ができていると思っています。
私の入った部署は、再生可能エネルギーを個人のお客様に使っていただくための部署です。かなりマルチタスクで、企画立案から営業、ウェブマーケティング、ウェブコンテンツの制作、システムの裏側の調整、電気料金の算定まで、幅広く担当しています。学友会でも社会人の方々と連携して働きましたが、やはりあれは大学生と大人のコミュニケーションだったわけで、いざ社会人になったら先輩に教えていただくことばかりでした。いま3年目ですが、仕事を任せてもらえるようになったのは2年目あたりからです。
環境システム学科で再生可能エネルギーついて学び、その可能性に期待を持って就職したわけですが、日本ではそもそも再生可能エネルギーの必要性を意識している方が少ないという壁に当たりました。再生可能エネルギーは不安定で、コストが高いというイメージがついてしまっています。今は化石燃料の輸入価格が高騰しており、再生可能エネルギーのコストは相対的に安くなってきているので、再生可能エネルギーの必要性が認知されていくかもしれません。理解を広げることは簡単ではありませんが、国産の再生可能エネルギーを大事にする意義を、一人でも多くの方に伝えていけたらと思っています。