自ら考え動いて、人とつながって
なぜ、この学部・学科を選んだのですか?
高校時代までずっとサッカーをしていて、受験期にも部活があり、やりたい学問分野も決まらない状況でした。でも担任の先生に趣味を聞かれて考えたら、小さい頃から海によく行っていたんです。父がダイバーだったので毎年のように沖縄でダイビングやシュノーケルをしていました。それで、「海で遊ぶことには興味があります」と言ったときに、先生が持ってきてくれたのが武蔵野大学の環境学部環境学科(※)の案内でした。環境系の学部は理系でないと受けにくい大学が多い中、ここは文系で履修してきた科目でも受験できました。
環境系に決めたのは、子どもの頃に海の中でガイドダイバーが見せてくれた、白化したサンゴ礁と地球温暖化の問題が、頭のどこかに残っていたからかもしれません。
※ サステナビリティ学科の前身。環境学部は2015年度に3つの科を持つ工学部に改組され、そのうちの環境システム学科が、2023年度にサステナビリティ学科となった
学生時代に特に印象的だった学びは何ですか?
印象的だった授業は「環境をテーマにして社会にインパクトを出そう」という大きな設定の中で、何をやるかは個人次第の「環境プロジェクト」です。取り組む分野も活動計画も自分たちで考えて行動する時間でした。
自分は「東京の川」をテーマに4人でチームを組み、川に通ったり東京都水道歴史館で話を聞いたりしながら、都内の川について2年間(※)継続して学びました。
昔は川がすごく身近で、東京の人も川とともに生きてきたけれど、今は3面コンクリート張りだったり暗渠(あんきょ)になったり埋められたりしています。川のある生活を完全に取り戻すのは難しくても、川の重要性を伝えて、リクリエーションを通して川に対する注目度や接し方を変えていきたいと考えました。
先生たちもサポートしてくれて、川の力を使う小水力発電システムがある埼玉県の越辺川まで引率してくれたこともありました。あの頃の自分にはパッションしかなくて今思えば全くインパクトを出すには至りませんでしたが、自分たちで「これだ」と思ったものに向かっていく経験は本当に楽しかったです。
※現在の環境プロジェクトは3年間
この授業の延長のような形で、3年生のときに有明キャンパスで「じゅんぐり祭」を初開催しました(その後、2018年度まで4回開催)。「エコプロダクツ展」に出展した武蔵野大学環境プロジェクトブースと連動するイベントで、養蜂のプロジェクトは蜂蜜を販売し、環境教育のプロジェクトは子ども向けのブースを出しました。最寄り駅からバスやタクシーに乗って来る人のエネルギー消費を減らすため三輪自転車タクシーを何台も走らせたり、武蔵野キャンパスに通う1年生の来場用のバスに天ぷら廃油から作った燃料を給油したり。じゅんぐり、じゅんぐり、全てが回るように、じゅんぐり祭専用の通貨を発行したり、会場のマルシェで買ってもらった食材を食堂で調理してもらえるようにしたり。
自分は実行委員長を務め、一日いるだけで環境に携われて、循環を感じられて、楽しみながら環境に貢献できるようなお祭りを目指しました。地域の方々をはじめ、いろいろな方が参加してくれました。
卒業後の進路選択について、お聞かせください。
卒業後は1年半ほど海外をまわり、帰国後にアウトドアブランド「パタゴニア」に入社しました。
パタゴニアの東京・渋谷ショップは目の前が渋谷川の暗渠(あんきょ)なので、もし川が暗渠になっていなかったら? という地図を店舗で作製したことがあったそうです。それで、在学中に自分たちが環境プロジェクトで神田川の昔の様子について地図を作ろうとしていた時、先生が知り合いのパタゴニア社員(以下、Aさん)を紹介してくれました。初めての顔合わせに指定されたのは「ここで?」と楽しくなるような公園で、思えばその時からパタゴニアの魅力にハマったのかもしれません。
環境プロジェクトの中間発表は学外で実施しても良いということで、自分のチームはAさんが副店長を務める店舗で閉店後に発表しました。スタッフの方々から本気の質問をもらったりして、この日も魅力的な人たちと出会えました。
アウトドア好きな自分が前のめりだったせいか、そのうちAさんが食事に誘ってくれるようになり、仕事のことをいろいろ語ってくれました。それが、めちゃくちゃ熱いんです。会社の軸と同時に常に自分の軸もちゃんとあって、仕事に内面がしっかり乗っかっているというか、環境に対して自分に何ができるのかという視点で、とても生き生きと話してくれる。店の手伝いをするようになり他の社員と話しても、みんな何かに熱いんです。
じゅんぐり祭の時、ダメもとで辻井隆行パタゴニア日本支社長(当時)のトークショーを企画したら、いち大学の初めてのお祭りに本当に来てくれました。「なんなんだこの会社は?」とどんどん引き込まれてアルバイトとして入り、1年間ショップで働きました。
でも、そのまま就職はしませんでした。環境問題に対する具体的なアクティビティを大事にしている会社に関われて嬉しかったけれど、いつの間にか、そこに所属することが目的になってしまったんです。実際の自分は何かにトライしているわけでも特別な行動をしているわけでもないのに、パタゴニアの店にいるだけで環境問題の解決に取り組んでいる気になってしまうことにモヤモヤしました。
それで、大学卒業と同時に海外に出ました。1年半ぐらい、ニュージーランド、欧州、東南アジアを巡り、後半はバックパッカーとして暮らしました。はじめは英語も不自由でしたが話しかけてくれる人がいて友達ができて、いつも人との出会いに助けられていました。
戻るつもりで海外に行ったわけではなかったのですが、帰国して働きたいと思った場所は、やっぱり同じ会社でした。一人で今を生きていくしかない状況の中で、自分の強みや変わらない部分、心地いいと感じることが明確になり、海や自然に近いことをしたい、環境にもすごく興味がある、と自覚したんです。
ここなら何かを諦めなくてもいいと気が付いて、帰国後に入社しました。最初は横浜・関内ショップに配属され、今は日本に3店舗しかないサーフィンに特化した「サーフ大阪」で働いています。ニュージーランドで初めて乗った1本の波に魅了され、その時から時間を見つけてはサーフィンをしています。今日もこの後、近県の海に出かける予定です。
お仕事と大学での学びに何か関連はありましたか?
海外で出会った人たちは休日や趣味をとっても大事にしていて、いわゆる就活もないし、2年間通った大学でもやりたいことができなければ辞めて別の大学に入り直したりします。自分のやりたいことをやる価値観とか自由さと、そこにあるハッピーとか、彼らからは生き方を学びました。環境プロジェクトもある意味そういう場所だったし、すごい授業だったんだな、と卒業してから思います。そういう場にいられることは、とても大事なことです。
人とのコミュニケーションやつながりは自分にとって最も重要で、それがあれば生きていけるとさえ思います。環境問題と向き合う時に大切なのもコミュニティで、自分たちのお店で言えば、海を愛する人たちのコミュニティがすごく大事だと感じています。
しっかりつながりができていれば、海の問題を解決しようと誰かが声を上げた時に一緒に頑張ろうよ、とみんなでちゃんと肩を組めます。声を上げられる状態や、そういうコミュニティづくりが大事なんです。
紹介で出会えるような人と人とのつながりの力強さは本当に感じていて、それはたぶん環境問題を解決していく中でも一番重要になると思っています。いろいろなお客さんやお店と手を取り合って世界をよくしていけるような、パタゴニアの店舗がそういう地域のハブになれたらと願っています。