改めて「持続可能な発展」を考える
ヨルゲン・ランダース教授の見通し
『2052』(副題「今後40年のグローバル予測」)という本が2013年に日経BP社から出版されています。著者はBIノルウェービジネススクールのヨルゲン・ランダース教授で、1972年に出版された『成長の限界』の4人の著者の一人でもあります。
副題にもあるように、この本は、1972年の本の出版後の40年間の実際の世界の環境、資源問題の動きやその対応の実態を踏まえ、ランダースさんが、改めて2012年からの今後40年間の環境と経済についての未来予測を行ったものです。その予測に際しては、あえて異なった見解を持つ人々の意見も参考にしつつそれぞれのパートがまとめられています。
その内容を私なりに、ごくごく簡単にまとめると以下のとおりです。
① 世界中で今後ますます都市化が進み、自然保護がおろそかにされる。生物多様性は損なわれる。
② 気温上昇、海面上昇、再生可能エネルギーの使用比率はいずれも増大を続ける。世界のCO2の排出量は2030年に、また、エネルギーの使用量は2042年にピークを迎える。
③ 資源と気候の問題は2052年までは壊滅的レベルには達しない。しかし21世紀半ば以降、気候変動は歯止めが利かなくなり、世界は大いに苦しむ。
④ 食料生産は2040年頃ピークになり、その後減少。気候変動による被害、生態系の損失、社会の不平等などの問題を解決するためにGDPの投資を増やす必要に迫られる。
⑤ しかしながら、資本主義と民主主義は短期利益志向が強く、長期的な利益のための投資の合意が遅れがちになり、対応は後手に回る。
ランダースさんは、最後に、「20の個人的アドバイス」を書いています。そのうちの一つに「子どもたちに無垢の自然を愛することを教えない」という項目があります。これは無垢の自然が次第に無くなっていくこれからの世界において、それを教えることは、子供たちを苦しめるだけだから、という理由です。なんと切なく怖いアドバイスでしょうか。
2016年10月号の本連載第18回でご紹介したジェレミー・リフキンさんの『限界費用ゼロ社会』が、どちらかというと将来への明るい見通しを語っていたのに対して、この本は、どちらかというと、現実の社会を見据えた暗い見通しに立っているといえるかもしれません。
生態学者ボルナー教授の結論
そのような折、先日、2016年度の旭硝子財団のブループラネット賞の受賞者のお一人である、英国のグラスゴー大学のマルクス・ボルナー教授の講演を聴く機会がありました。ボルナーさんは、若い頃からアフリカ、タンザニアのセレンゲティ国立公園の野生生物とその生息環境の保全に取り組み、大きな成果を残された生物学者です。
講演の最後に言われたボルナーさんの印象的なメッセージの一つは、「人間には無垢の自然が必要だ。それは人間の魂がそれを欲しているからだ」というものでした。また、「将来、国の偉大さというものは、進んだ技術や文化やスポーツの水準の高さで判断されるのではなく、その国がどれだけの自然と生物多様性を次世代に渡し得たかによって判断されるようになるだろう」というメッセージも心に残りました。
しかしながら、ボルナーさんは、単に先進国の人間の一人として、上から目線で、一方的に自然の大切さをアフリカの人々に説いてきたのではありません。実は、密漁が横行していたセレンゲティ国立公園での野生動物の保全が曲がりなりにも成功したポイントは、ボルナーさんが、セレンゲティ国立公園をエコツーリズムの対象として位置付け、それが地元の住民たちの生活にとって経済的にも必要不可欠なものであるという関係を作ったことにあったのです。それまでは、たとえ密猟が横行しても、それは自分たちの生活とは関係ないというスタンスだった住民が、密猟の対象はエコツーリズムという経済的な価値を生む自分たちの大事な野生動物なのだから、それをやられては困るというスタンスに変わったといいます。
単なる自然保護の大切さの話だけでは動かなかった地元の人々の行動が、エコツーリズムという経済を絡めることによって変わったのです。このことは、人類が今後、どのようにして自然を保全していくかということについて大きな示唆を与えているように思います。
ハーマン・デイリーの3原則のすごさ
以上のようなことを考えたとき、改めてハーマン・デイリーの持続可能な発展の3原則のすごさに思い至ります。この原則は簡単にいうと、①再生可能な資源はそれが再生できる範囲で使うべきこと②非再生可能資源は、それが再生可能資源で代替できる範囲で使うべきこと③廃棄物や有害物は、自然が受け入れ浄化できる範囲で排出するべきこと、の3点です。
とてもシンプルな原則で、デイリーさんがこの原則を発表した1970年代当時は、「あまりに当たり前のことを言っているだけで、一種のトートロジー(同義反復)ではないか」と笑われたこともあったと聞きました。
しかしながら、二つ目の原則には、「現在多く使われている非再生可能資源は、将来的にはすべて再生可能資源に代替されなければいけない」という含意があります。これには、人類がこれまで「文明の発展」と信じて疑わなかった多くの生産・消費に関する社会システムを大幅に変えなければ、持続可能な未来はないという極めて強いメッセージが含まれています。
それは、化石燃料や鉱物資源など、非再生可能資源をベースにしてきた近代の人類の発展を、生態系を中心とした再生可能な自然をベースにした発展に作り直さなければならないという大きな課題を提起したことに他なりません。
ただし、これは、すべての技術や生活様式も含めて「江戸時代の世界に戻るべきだ」と言っているのではありません。太陽光発電や大型の風力発電のように、過去にはなかった新しい技術を活用しながらも、あくまでベースは再生可能資源の利用であるという、新しい形の生産・消費システムの構築であるべきと思います。そして、そのような経済的なつながりを確立すること自体が、再生可能資源、すなわち、生態系を中心とした自然の保全につながるのではないかと思います。
つまり、セレンゲティ国立公園でのボルナーさんの教訓からは、私たちの生活や経済が、自然と切り離されたものであってはならないのです。化石燃料や原子力など非再生可能資源の利用は、自然生態系に直接依存してきた人類の制約を解き放ち、人類の活動量を飛躍的に増やしてきましたが、そのことが、かえって自然(生態系)はなくとも人間は生きていける、との誤解や錯覚を生みました。そのことが、持続可能性を損ねてきた最大の要因の一つだったと私は思います。
もとより、再生可能資源の再生可能な範囲の利用のみによって、地球上にこれだけ増えた人類を今後養っていくのは容易なことではありません。それこそ、再生可能資源であった森を切り過ぎ、再生可能資源であった土壌を劣化させてしまった結果、文明が崩壊したイースター島の轍を踏む可能性すらあります。
それを避けるためには、ハーマン・デイリーの原則を世界的ルールとして合意し、資源やエネルギーの利用や廃棄物の排出について一種の制約を自ら課し、それに沿った新たな社会システムを計画的、段階的に作っていくことが不可欠であると思います。
それは、本当に今よりも素晴らしい世界なのかと疑問に思う方もおられるかもしれません。しかしながら、そのようなルールの下で、リフキンさんが指摘する、IoT(モノのインターネット)などの新たな技術がさらに発展し、極めて効率的な共有型経済の仕組みが構築され、人間が生きるための基本的な財・サービスの利用が誰に対しても保障され、極端な貧富や格差がなく美しい自然を次代に受け継ぐことが高い評価を受けるような価値観が醸成されていけば、その社会は持続可能で心豊かな生活ができる、今よりも上質の世界になると私は考えています。
※地球・人間環境フォーラム発行「グローバルネット2016年12月号」掲載、連載「21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは」の記事を転載
一方井誠治(いっかたい せいじ)教授のプロフィール
1974年東京大学経済学部卒、75年環境庁(現環境省)入庁、 外務省在米大使館などを経て、2001年環境省政策評価広報課長、03年財務省神戸税関長、05年京都大学経済研究所教授、12年武蔵野大学環境学部教授、15年より武蔵野大学工学部環境システム学科教授 兼 武蔵野大学大学院環境学研究科長。京都大学博士(経済学)。環境庁計画調査室長として、94年版と95年版の環境白書を作成。専門分野は地球温暖化対策の経済的側面に関する調査研究、環境と経済の統合。著書に「低炭素化時代の日本の選択-環境経済政策と企業経営」など。