ライフスタイルと社会経済システムの変革
[su_spacer size=”40″]いつの時代でも、現在が時代の転換点であるとの論調があり、未来は大きく変わっていくし、変えられるとの考え方があります。私自身は、まだその帰結を、確信を持って語ることはできませんが、このところ関心を持って読んだ本をご紹介しつつ、思うところを述べたいと思います。
『プレニテュード:新しい〈豊かさ〉の経済学』
「プレニテュード(plenitude)」という英語は正直私も知らなかったのですが、「十分、豊富」という意味合いの単語です。
著者のジュリエット・ショアさんは、1955年生まれのアメリカ人で、現在、ボストン大学の社会学教授を務めています。もともとは、経済学が専門で、ハーバード大学の経済学の准教授も務めていました。過去の著書には、『浪費するアメリカ人―なぜ要らないものまで欲しがるか』他のベストセラーがあります。
この本は、2010年に出版され、2011年に岩波書店から翻訳が出ています。その内容を私なりに理解したところをやや乱暴にまとめると以下のとおりです。
⒈現代は、気候変動問題をはじめとする環境の危機の時代であるが、同時に、リーマンショックに見られるような経済の不安定性や格差問題に見られるような経済の危機の時代でもある。
⒉これらの危機は、有史以来、私たちが求め続けてきた「より大きな幸せ」をもたらさなくなってきている。
⒊近年提示されてきた多くのサステイナビリティ構想は、環境保全技術を前提としているが、それだけでは不十分であり、エネルギーシステムを含む多くの社会経済システムの構造をトータルに変革し、労働や消費や日常生活などに従来とは異なるリズムを取り入れることなしには、環境の悪化を食い止め、経済的健全性を取り戻すことはできない。
⒋ただし、大規模な転換を成功させるには、常に集団的合意が必要となる。私たちは、二酸化炭素削減メカニズムを必要としており、新たな労働市場政策を必要としている。
⒌しかし、これらの変革に取り組む間にも、その移行期に私たちにできることがある。それは以下の四つの〈豊かさ〉の基本原理に基づく行動である。
①第一の原理は、新たな時間の配分である。私たちは長時間市場で働き、所得を得て、市場から消費財を獲得しているが、この市場依存度を低めることである。
②第二の原理は、市場から抜け出し、「自給」、すなわち自分のために何かを作ったり、育てたり、行ったりすることである。
③第三の原理は、「真の物質主義」であり、流行やステータス志向ではない、生活において物質が持つ本来の機能と環境影響を意識し、生活をすることである。
④第四の原理は、お互い同士と私たちのコミュニティへの投資、いわゆる社会関係資本を回復させることである。
四つの基本原理と現代社会
以上の四つの原理は、新しい<豊かさ>を生み出すという面において、なかなか良いポイントをついていると私は思いました。
第一の、市場依存度を減らす、という発想は経済学の観点からはなかなか出てこないもので、ショアさんの柔軟な考えに感心しました。考えてみれば、長い人類の歴史全体からみれば、いわゆる市場経済が成立し、分業がこれほど発達したのはここ数百年のごく短い経験でしかなく、働いて得た所得で、生活に必要なほぼすべての物やサービスを購入するというライフスタイルは必ずしも普遍的なものとは言えません。
しかも、かつての江戸時代のような、エネルギーや物質上の制約があった時代に比べると、化石燃料や原子力により多くのエネルギーや物質の生産・消費が可能となった現代では、本来、<豊かさ>を獲得する「手段」であったはずの所得や消費そのものをより多く得るということ自体が「目的」となってしまい、異常な長時間労働やブラックバイトなどで心身を壊す人が出てくるなど、本来の<豊かさ>や幸せといったものから、乖離が生じてきてしまっているのは事実であろうと思います。
しかしながら、単純に市場依存度を減らすと、所得が減り、さらに貧しくなるのではという懸念が出てくるのではないでしょうか。それに対するショアさんの答えが、第二原理以下の考え方だと思います。
「自給」を支える技術とインターネット
第二原理の「自給」ですが、「それをしようと思うと、時間もコストもかかってしまう、市場から買ってくる方が楽だし安い」というのが大方の反応ではないでしょうか。
それが、技術の進展やインターネットの普及などで状況が大きく変わってきています。よく言われているのが、3Dプリンターの出現と情報のオープンソース化です。それまでは、高価な機械や設計・製作情報がなければ素人では到底作れなかったようなものが、3Dプリンターと無料の情報によって、従来より格段に安く作ることが可能になってきているといいます。
もとより、現在、ちまたにあふれている品物とまったく同じものを前提とすると、作るのが難しい場合もあろうかと思いますが、第三の原理である「真の物質主義」を前提とすると、機能的には十分満足できる品物を作ることが可能になろうかと思います。
私自身の事例で恐縮ですが、昨年の春、自宅の庭に小さな庭小屋を建てました。ただし、一から材料を調達して自分で造ったのではなく、東北にある小さな会社が国産材の杉を使って開発した、パネル組み立て式の物置小屋のキットを購入し、自分で組み立てるとともに内装を自作したのです。注文してからキットが運ばれてくる間、自分で砂利を敷き、そこにブロックを置いて基礎を造りました。組み立てと屋根葺き自体は娘の助力を得て休日を使った丸二日の作業でできましたが、内装や家具の製作にその後数ヵ月かかりました。
その間、週末ごとの作業は、私にとって豊かでチャレンジングな経験であり、とても幸せな時間でした。今では、ここで読書をするのが私の一番の楽しみとなっています。価格もリーズナブルでこれらのものすべてを造ってもらい、購入した場合の半分以下の費用で済んだと思います。
写真にある、折り畳み式テーブルや椅子は私自身がホームセンターから材木を買ってきて自作しました。写真には写っていませんが、背後には身体を伸ばして横になれる折り畳み式のベンチもあります。
ただし、これを可能にしたのは、私が初めて使ったインパクトドライバーという道具でした。この充電式の電動ドライバーがなければ素人の私ではとてもこれだけ効率的かつ手際よく組み立てや内装、家具の製作はできなかったと思います。
もちろん、市場から離れて自給を拡大すれば、おのずからすべての問題が解決するということではありません。ショアさんも述べているように、新たな低炭素化政策や労働政策も不可欠です。しかしながら、私にとっても、完成品を市場から買ってくるのではなく自分で作ることが、これほど<豊かさ>と幸せにつながると実感したことは大きな出来事でした。
※地球・人間環境フォーラム発行「グローバルネット2016年9月号」掲載、連載「21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは」の記事を転載
一方井誠治(いっかたい せいじ)教授のプロフィール
1974年東京大学経済学部卒、75年環境庁(現環境省)入庁、 外務省在米大使館などを経て、2001年環境省政策評価広報課長、03年財務省神戸税関長、05年京都大学経済研究所教授、12年武蔵野大学環境学部教授、15年より武蔵野大学工学部環境システム学科教授 兼 武蔵野大学大学院環境学研究科長。京都大学博士(経済学)。環境庁計画調査室長として、94年版と95年版の環境白書を作成。専門分野は地球温暖化対策の経済的側面に関する調査研究、環境と経済の統合。著書に「低炭素化時代の日本の選択-環境経済政策と企業経営」など。