パリ協定を受けた日本の気候変動政策への懸念
パリ協定で合意された野心的目標
昨年末にパリで開かれた国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)において、世界の気候変動問題に対処するための、京都議定書に代わる2020年以降の国際的枠組みが「パリ協定」として、ようやく合意に至りました。
もともとは、京都議定書の第一約束期間が終了する2012年以降の枠組みを定める予定だったのですが、先進国、途上国を含め世界の国、地域間における交渉・合意が大変難航し、そのスタートが2020年にずれ込んだという経緯があります。そのこともあってか、今回の合意を報道する新聞やテレビの論調は、どちらかというと「予想外によくまとまった」という好意的なものが多かったように思います。
確かに、内容的には、先進国、途上国がともに、世界共通の長期目標として、世界の平均気温の上昇を工業化以前よりも2℃以下とする目標を設定したこと、先進国、途上国を問わずそれぞれの国が自主的に決定する温室効果ガスの削減(抑制)目標を提示し、それを段階的に強化していくこととしたことなど、先進国のみに削減義務があった京都議定書に比べると、一歩前進したと評価できる面があります。
しかしながら、中国をはじめ、途上国の多くの削減目標は現時点ではGDP当たりの温室効果ガス排出量を削減する、いわゆる原単位ベースのものが多く、また、日本をはじめ先進国においても必ずしも大幅な削減目標を提示していないところも多々あり、少なくとも、現在提示されている削減目標をすべて集計しても、長期目標の達成には到底届かないということがわかっています。
一方で、本年2016年の1月から6月までの世界の平均気温は、観測史上最も高くなったとの結果がアメリカ航空宇宙局(NASA)から発表されるなど、気候変動そのものは加速的に進行しています。また、2℃目標を達成するためには、2050年までに2010年と比べて全世界の温室効果ガスの40~70%が削減され、2100年には排出水準がゼロまたはそれ以下になる必要があることが気候変動に関する政府間パネル(IPCC)により指摘されています。これは安定化に向けた極めて厳しい削減条件です。
要は、今回の合意は、世界の国々が今後、自主的に削減目標を強化して着実に対策を講じていくという仮定のもと、論理的には今回合意された長期目標を達成できる可能性はゼロではないものの、現実的には極めて実効性の低い合意ではないかというのが、私の率直な感想です。ただし、現時点においては、そのような合意をするしか政治的には選択肢はなかったというのも事実であろうと思います。
パリ協定を受けた日本の「地球温暖化対策計画」
もとより、将来のことについては、経済や技術面でも不確実性がありますし、日本を含め、今回のパリ協定の合意をきっかけに、今後、野心的な気候変動政策が予想外に進むかもしれません。私自身は、そのような状況を願っていますし、そのような状況に一歩でも近づくよう努力をしなければならないと思っています。
しかしながら、今回のパリ協定を受けて日本の基本的な対応を定める「地球温暖化対策計画」(平成28年5月13日閣議決定)を読んで私は愕然としました。
最もショックを受けたのは次の記述です。「我が国は、2002年に京都議定書を受諾し、第一約束期間(2008~2012年度)における温室効果ガス排出量を基準年(原則1990年)比で6%削減する約束を遵守すべく、地球温暖化対策法に基づいて京都議定書目標達成計画を策定し、総合的かつ計画的な地球温暖化対策を講じてきた。この結果、第一約束期間中の5か年平均の総排出量は12億7,800万トン(基準年比1.4%増)、森林等吸収源及び京都メカニズムクレジットを加味すると基準年比8.7%減となり、我が国は京都議定書の目標である基準年比6%減を達成した」。
いかがでしょうか。「別にどうということのない記述ではないか。一方井はいったい何にショックを受けているのか」と思われた方はいるでしょうか。もし、そう思われた方がいたとすると、そのこと自体も私にとっては大きなショックといえます。
実は機能しなかった京都議定書目標達成計画
私が、受けたショックの理由は、先の記述の「我が国は、(中略)京都議定書目標達成計画を策定し、総合的かつ計画的な地球温暖化対策を講じてきた。この結果、(中略)京都議定書目標(中略)を達成した」というところにあります。この記述を素直に読むと、先の「京都議定書目標達成計画」は有効に機能し、その結果として京都議定書目標が達成されたと多くの方は思われるのではないでしょうか。
これは事実と違うと私は思います。その最大の理由は、今回の閣議決定文書では一言も触れられていないリーマンショックによる日本経済の落ち込みとその影響による温室効果ガスの排出量の大幅な落ち込みです。
できれば、昨年の本誌2015年9月号の本欄に掲載した日本の温室効果ガス総排出量推移を参照していただきたいのですが、まさに京都議定書の第一約束期間に当たる2008年から2012年までの排出量は、2007年までの漸増のトレンドから一転して明らかに落ち込んでいるのがわかります。
京都議定書目標達成計画による諸対策が機能してこのようなトレンドになったのであれば、先にご紹介した本年の閣議決定文書の記述は正しいものと思います。しかしながら現実は、経済の大幅な落ち込みにより、この約束期間中の排出量が1990年比で1.4%増に抑えられたのであり、もし、リーマンショックによるこの落ち込みがなく、世界的な景気がそのまま継続していれば、その超過分は9.2%程度になっていたのではないかとの予測があります。
その場合、その超過分を埋めるために、最終的には国は海外から追加的にクレジットを購入する必要があり、その価格も現在よりも高騰している可能性を考えると、私の計算では、控えめに見積もっても1兆円を超えるクレジットを購入せざるを得なかった可能性があります。京都議定書の目標達成にあたりこのような高額のクレジットの購入は予定されておらず、これは明らかに「京都議定書目標達成計画」の失敗であり、リーマンショックがなければ、それを策定した政府の責任も問われたものと思われます。
日本の削減計画は進化しているのか
京都議定書目標達成計画が機能しなかった理由は、最大の温室効果ガスの排出源である産業部門(電力を含む)の対策が、産業界の自主的な削減行動に期待する環境自主行動計画をその柱としていたこと、同じく、家庭部門や業務部門における対策の柱も、クールビズをはじめとする国民運動がその大きな柱となっており、核となる政策手段に欠けていたためと私は考えています。実際、欧州連合(EU)などがすでに導入しているキャップ付き排出量取引制度や高率の炭素税などは同計画では導入されてきませんでした。
それでは、そのような反省に立って、今回の閣議決定文書である「地球温暖化対策計画」では、新たな政策手法が導入されているでしょうか。同文書は本文71ページに及ぶものですが、政策手段の基本的な構造は、私が見る限り、産業界については、相変わらず自主的な取り組みがその対策の柱となっており、国民の取り組みとしても、「クールチョイス」というキャッチフレーズによる国民運動が提唱されるなど、先の京都議定書目標達成計画と大きな違いは見受けられません。
これでは、事実上機能しなかった京都議定書目標達成計画を上回る効果は期待できず、ただでさえEU(90年比40%減)やドイツ(同55%減)と比べて低い日本の削減目標(同約18%減)ですら、達成できないのではないかと私は大きな懸念を抱いています。
※地球・人間環境フォーラム発行「グローバルネット2016年8月号」掲載、連載「21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは」の記事を転載
一方井誠治(いっかたい せいじ)教授のプロフィール
1974年東京大学経済学部卒、75年環境庁(現環境省)入庁、 外務省在米大使館などを経て、2001年環境省政策評価広報課長、03年財務省神戸税関長、05年京都大学経済研究所教授、12年武蔵野大学環境学部教授、15年より武蔵野大学工学部環境システム学科教授 兼 武蔵野大学大学院環境学研究科長。京都大学博士(経済学)。環境庁計画調査室長として、94年版と95年版の環境白書を作成。専門分野は地球温暖化対策の経済的側面に関する調査研究、環境と経済の統合。著書に「低炭素化時代の日本の選択-環境経済政策と企業経営」など。